よく考えれば容易に想像のつくことだろう。
齢17、8の少年に囮になって戦えということがどれだけ酷なことか。
自分より数倍はあろう巨躯の化け物の群にたった一人で立ち向かえ。たった一本の錆び付いた刀を手渡され、その背には幾人もの命が預けられ、重圧と突きつけられた現実から逃げることも叶わず。
それでも少年はいつだって何食わぬ顔で受け入れてきた。どころか、いつだってそれを誰かが言い出すよりも早く名乗り出てきた。
少しばかりの常識と一匙ほどの良心があれば。そんな無謀な賭はやめろ、無駄に命を散らすことはない、と。死に急ぐ彼を止める者も現れたかもしれない。
だが少年のそんな気遣いにあえて気づかぬ振りをしなければ、それに縋らなければ、針の先ほどにまでなってしまった勝機を掴み取ることはできないと、誰もが無意識にも悟るほどに戦況はどこまでも劣勢であった。


その年の冬は酷く長かったように思われる。
いや、年中隙間風が吹き込むような、断熱性などとうの昔に失われた壁の薄い廃寺に寝泊まりしていたから、そう感じたのかもしれない。暦の上では春を迎えていようとも、酷く寒い日が続いていた。
縁に腰掛け、寺の裏庭に植わる裸の梅の木にホオジロが一羽、その後を追うようにもう一羽飛んできたのを眺めていたときだ。
「何ジジイみてェに呆けてやがる」
声のした方へ視線を移すと、濃紺の袖付き羽織を身につけた幼馴染が仏頂面で佇んでいるではないか。
「もういいのか、傷は」
「三日もずっと寝たきりなんていられるわけねぇだろ」
暇すぎて死んじまうよ、というボヤきには気にも止めず、何を思ったか男は隣に腰掛ける。
整った顔立ちに切れ長の瞳。先の戦で銃弾を掠めたらしく頬に傷はあるものの、艶のある黒髪や素人でも一目で上物だとわかる紬の着物がよく似合ういい男だ。黙っていれば。
ここ2、3日、寝たきりの生活が続いていた。というよりそれを余儀なくされていたと言った方が正しいか。この生活が始まった頃から怪我などつきもので。死ななければ御の字だと。常に死と隣り合わせの生活になることは、覚悟の上で選んだ道だ。
だが実際に目の前で当たり前のように仲間が死んでいく様は、どうやら人の一番大事な部分を麻痺させるらしい。
だからいつかこうなるんじゃないかと、冷静に考える自分はいた。それは不運でしかなかった。
たまたま敵の投げた閃光弾に当てられ、あの場で撤退の歩みを止めてしまった仲間を見つけた。その背後から今にも大太刀を振りおろさんとする異形者を視界に捉えた時には、すでに向きを変えていて。
「銀時ッ!!」
誰かが叫ぶ声がした。気にする余裕なんてなかった。ただ半ば無意識的に立ち止まっている男の背中を突き飛ばして、そして。

ホオジロが二羽、互いの羽を毛繕いし合っている様は、まるで仲睦まじい夫婦のようだと思った。そうしてまだ冷たい風にぶるっと身を震わせる。
「銀時」
隣で同じように庭先を眺めていた男が口を開いた。
「てめぇだけが特別だなんて、思うんじゃねーぞ」
怒っているふうでも、悲しんでいるふうでもない。まるで独り言のような、何の感情も持たない男の科白が、風と共に流される。
「一人で戦っているなんて、思うなよ」
少し強い風に驚いたのか、バサバサとホオジロが飛び立った後には一本の枯れ木だけが残った。


傷の具合もよくなり、桂の許可が降りたので久々に部隊長が集まる夜の会議に出た。特に発言をするわけでもないが、戦況をその度確認するためにもできるだけ顔を出すようにしている。大抵の話し合いは桂と高杉によって、時たま坂本らの発言を交えながら進められた。
「次の殿(しんがり)だが」
「俺が行く」
誰よりも早く手を挙げた。一瞬その場の視線が集まるこの居心地の悪さがあまり好きではない。
「大丈夫なのか?傷もまだ癒えていないのだろう」
「平気だっつーの。誰だと思ってんの?」
天下の白夜叉様だぜ?こんくらいかすり傷だわ、と鼻で笑った。少々、似つかわしくなかったかもしれない。すれば、いつもはここで押し黙っている男が
「俺も行く」
と、鋭い光を宿す双眸をこちらに向けて名乗り出た。
「何の冗談?」
会議が終わり各自割り振られた部屋へと向かう途中、一人になった男を呼び止めてその真意を問いただそうと捕まえる。
「別に」
高杉晋助は、落ち着き払った声で言った。
「癪に触っただけだ」
「何でだよ」
意味が分からねぇとのたまえど、男はすぐに腕を払って立ち去ってしまう。
「とにかく、今回は俺も出る。ヅラも坂本も了承した。決まったことをいつまでもウダウダ言ってんじゃねェ」
とうの昔に慣れたはずの有無を言わせないその口調が、今日はなんだか酷く癪に障って。
「あっそ、勝手にすれば」
そっけない返事を返し逆方向へと歩いていった。


命のやりとりが当たり前になっている自分が怖い。されど極限状態における人の感情というものは高ぶるばかりで、その熱も分け合うこともできず、ただひたすらに目の前の敵を斬って、斬って、斬って。
肉を斬り、骨を断つ感覚も吐き気がするほどの鉄臭ささえも、狂喜に変わる瞬間というものがある。立っていられないほどの痛みの中から快感を得ることもある。
人の生き死にが当たり前になりすぎて、いつのころからか泣けなくなった。男子たるもの人前でむやみに泣くのはみっともないと、誰に教えられたわけではないが、昔からそんなちっぽけな矜持があった。
それでも昔はよく泣いていたと思う。眠れぬ夜はあの人の布団に潜り込んで、縋るように寝間着を掴んで離さなかった。そんな自分を鬱陶しがることもなく、優しく包み込むように抱きしめては、「大丈夫」と背を撫で続けてくれた。生まれて初めて与えられた温もりに声を殺して泣いた。
そうして泣いて泣いて、泣きつかれればようやく深い眠りにつけて。その次の日はきまって日が中天に差し掛かる頃まで眠り、どこか心が軽くなっていたのを覚えている。
あの人は優しかった。優しすぎた。
その優しさが今では怖い。無闇に手を伸ばせば失ったとき、伸ばしかけた手のやり場に困るから。どうすればいいのか、わからなくなるから。
一度巣から落ちた鳥は、青空に思いを馳せながら、再び飛ぶことを恐れて自らの羽をもぎ取ったのである。

「なに、や・・・ってん、だ、よ・・・」
尻餅をついた状態で男を見上げる。いつものどこか余裕のある人を小馬鹿にしたような含みある笑みはどこへいったか。その表情は苦痛に歪み、整った役者のような綺麗な横顔は真っ赤な鮮血で汚れている。
「なに・・・してんだよ・・・ッ、」
みっともないほど掠れた声で。たかすぎ、と。自分を突き飛ばした張本人の名を呼んだ。
そうして驚きの後の、ふつふつと沸き上がった怒りにも似た感情。ああ、自分は何をやっているのか。助けてくれた相手に怒りを覚えるなんてどうかしているじゃないか。一言礼を述べることはあれど、これで無様にも怒鳴り散らしてしまったら、それこそ癇癪を起した子供と変わらないだろうに。
しかし一度湧き起こった怒りにも似たそれは、押し殺すことができないほどに膨れ上がり、胸を締め付けて、そして。
「誰が・・・誰が助けろなんて言ったよ!?」
ああ、言ってしまった。やめろ、やめろと脳内で警鐘が鳴り響くというのに、一度溢れてしまった感情の波を、言葉を止めることができず、悪態ばかり口に出て。自分でも何を言っているのかわからなくて。
違う、こんなことを言いたいんじゃなくて、ただ俺は――・・・
「怖ェのか?」
まるで天気でも聞くようなその口調に理解が一拍遅れた。
「怖ェのか?」
目の前の男は同じ科白を繰り返す。そして手にした血濡れの鍔無刀を振るった。
「お前だけじゃねェつったろ」
怖ェのは。生きることも死ぬことも怖ェのは、お前だけじゃねェ。それでもむざむざと死んでやるつもりもねェ。
「どうしていいかわからねェなら生きろ」
昨日死ぬかもしれなかった俺たちがこうしてまだ刀を振るっていられるのは、生かされてるからだと、男は言った。
死んでいった仲間の無念、奪っていった者たちへの恨み、なんでもいい。みっともなくてもいいから何かに縋って、泥を啜ってでもいいから生きろ。それはちっともみっともない生き方なんかじゃない、と。
「白夜叉なんぞともてはやされて、自分一人で何とかなるとでも思ったか。畦道に転がる仲間をすべて救えるとでも思ったか。自惚れてんじゃねェよ。釈迦や仏じゃあるめェし、そんなことできるわけねェだろ」
お前は、無力な人間だ。
誰を救うことも、自分すらも救えやしない無力な人の子。
されど何にも代えがたい、代わりなんぞこの世のどこにもいない代替の効かぬ存在。
ああ、そうか。ずっと抱いていたこの感情の名前は、驚くほどすっと出てきた。
怖かったのだ。ただ、怖かった。この男を失うことが。
理不尽な怒りをぶつけ、無様にも喚き散らしたにもかかわらず、男は笑っていた。いつものように、人を小馬鹿にした笑みを浮かべ、黙って血に塗れた手を差し伸べる。
忘れていた。自分は酷く馬鹿で無力で不器用な人の子だ。
尻餅をついても一人では立ち上がれないような、無力なガキ。助けられても礼も言えず癇癪を起すようなガキ。
そしてこの男もそう。誰も救えず、もがき苦しんでここまで来た。馬鹿で無力で不器用な幼馴染。
「誰がてめーなんぞの手なんか借りるかよ」
たとえ自分の両羽がもげたとしても、それが無意味な行為だと分かっていながら片羽を毟り与えてくれるほど優しい男。


だから俺も、決して見捨てたりはしない。
「高杉・・・」
激しさを増す雨が、二人の間を分かつように降り注ぐ。しとどに濡れた前髪が、視界を邪魔し、互いを隠す。
血染めの着物、輝きを失った鈍色の刀身。反して浮かぶその笑みに、抉られた腹部が鈍痛を訴える。じくじくと流れ出る血液が白い衣を紅に染め上げ、足元を汚した。
『始まりは同じだった。なのに・・・・・・随分と遠く離れてしまったものだな』
かつて旧友が呟いた言葉が反芻する。
そう、始まりは同じだった。だがあの頃から見ている方などてんでバラバラだった。
そして今は、互いに投げかける言葉も持ち合わせちゃいない。
だから向き合おう。言葉はなくとも真っ直ぐに。いつかお前が黙って手を差し伸べてくれたように。
その手を握り返すことはなくても、相容れるその日、その瞬間まで。